日本三大悪風 「清川だし」 本当はいい奴

清河八郎(きよかわはちろう)は幕末に登場した勤王の志士で、「浪士組」を結成したことで知られ、明治維新の魁となった人物です。浪士組に参加して京都に行った者の中にはのちの新選組の近藤勇と土方歳三もいました。

清河は、江戸幕府直轄の学問所である昌平黌(しょうへいこう)に学び、剣術でも北辰一刀流の免許皆伝を許されるなど、学問にも剣術にも優れた俊英でした。1963年、34才の若さで幕府の刺客に暗殺されてしまいましたが、死後40年以上たった1908年に特旨により正四位を贈位されています。現在、彼の出身地である山形県の庄内町清川には清河を祀る「清河神社」があり、その境内に清河八郎記念館があります。

この地域には春から秋まで「清川だし」という強風が吹くことがあります。あまりにも強い風なので、農作物に被害を与えたり大火事の原因になったりすることがあるため、人々は恐れ、”日本三大悪風”のひとつに数えられています。

農業への悪影響も大きく、1960年頃から町の過疎化が始まり、1976年には冷夏のうえ、風による被害もあったため、農業は壊滅的な打撃をうけます。

このやっかいな風、なんとかならんか…。
そう考えた結果、山形大学の羽根田栄四郎教授の発案で、1980年から風エネルギーの利用に取り組むことになりました。数々の失敗と成功を重ねつつ、1993年にはアメリカ製の大型風車(100kW)3基を建設しました。一般家庭60世帯分の年間必要電力を発電する、日本初の自治体となったのでした。

いま、庄内町は日本における大型風力発電事業の発祥の地とされています。

2022年8月1日からは、港区の5つの区有施設が庄内町の風力発電の電力の利用を始めました。

PRTIMES: みんな電力を通じて、東京都港区が姉妹都市・山形県庄内町の風力発電の電力を利用開始

庄内町は2020年11月に「庄内町ゼロカーボンシティ宣言」を出し、2050年までに二酸化炭素の排出量を実質ゼロにすること宣言しました。これからも他の地域の一歩先を進んでいくのかもしれません。

ところで「清河だし」は、いつまで「悪風」とされるのでしょうか。時代が変わり、人間と環境の関わり方が変わるだけでその見方はがらりと変わりそうですね。そのうち日本三大悪風は、そっくりそのまま「日本三大’良風’」になるかもしれませんね。