「エンソ」と聞いて、略字というのは本当にありがたいものだな、と改めて思います。エルニーニョ現象・南方振動(El Nino-Southern Oscillation, ENSO)のことです。
・海洋の現象:赤道太平洋で起こるエルニーニョ現象とラニーニャ現象。
・大気の現象:インドネシア付近と南太平洋東部で、海面の気圧が”片方が高くなるともう片方が低くなるシーソーのように変化する”(振動する)南方振動という現象。
これらを全てひっくるめた現象を「エンソ(ENSO)」とたった3文字で呼んでいます。
この「南方振動」が発見された過程がなかなか面白いんです。
かのアイザック・ニュートンを輩出したケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを数学科主席で卒業したギルバート・ウォーカー(1868年-1958年)は、数学の研究をしながらトリニティ・カレッジの研究員と講師を勤めていました。
1902年。インド気象局の初代局長だったジョン・エリオットから後継者として声をかけられます。当時エリオットはインドの農業に大きな影響を与えるモンスーン予報の研究を進めていたものの、科学的素養のある助手の不足などもあって挫折しており、新聞でも批判されていました。そして後任者として、気象学よりもむしろ、高度な統計・数学的アプローチができる人物を探し求めていました。そこでウォーカーの数学的業績を耳にし、彼を熱心に誘いました。ウォーカーは気象学の知識を全く持っていませんでしたが、「お〜、遠く離れたインドでモンスーンの研究か!ロマンがあるね。望むところよ!」と(たぶん)言ってその仕事を引き受けました。翌年インドに渡り、1904年にはインド気象局の局長に就任します。
【インドでの不屈の調査研究】
モンスーンの研究を進めるうちに、季節単位の予報を行うために必要な科学的情報がないこと、そしてこれまで自分が身につけてきた”確立された前提をもとにした数学的な分析”が役に立たないと見切りました。ここでウォーカーは頭を切り替えます。「情報が足りない。全く足りない。こんな状態で法則なんか分かるはずがない。降雨量、気温、湿度、気圧。あらゆる気候データを、空間的も時間的にももっと広範囲で調べ尽くすぞ。その上で統計的に分析すれば、何かが見えてくるはず。俺はそう信じる!」と(たぶん)言って、インドだけでなく世界のデータを集めました。
やがて、数えきれないほどのデータの山から「ヒマラヤの降雪量、モーリシャスの気圧、ザンジバルの雨量、南アメリカの気圧」とインドの雨季の天候の間に相関を見出しました。やがてモンスーンを予測する方法を打ち立てましたが、残念ながらそれでもその精度は高いものではありませんでした。しかし、この作業は科学の発展史において大きな足跡を残しました。
ウォーカーは世界の気象データを収集・分析するこの過程で、3つの大気の揺れとも言える「気圧振動」を発見し、1923年に発表しました。「北大西洋振動」と「北太平洋振動」、そして「南方振動」です。この中で最も規模の大きなものが南方振動でした。ただ、これが発表された当時はあまり大きな話題にはならなかったようです。
【ENSOへ】
時は流れて1969年。カリフォルニア大学の教授ヤコブ・ビヤクネスが(海洋現象である)エルニーニョ現象と(大気現象である)南方振動が互いに結びついた同一の現象の別側面であると発表し、さらに太平洋赤道域の大気の東西循環のことを、ギルバート・ウォーカーにちなんで「ウォーカー循環」と名付けました。さらにその後大きなエルニーニョ現象が発生した1982年〜1983年頃にエルニーニョと南方振動を合わせたEl Nino-Southern Oscillation, ENSOすなわちENSOという略称が使われ始めました。
ギルバート・ウォーカーはこうして新天地インドで気象学界に大きな貢献を残しました。しかしもう一つ、ウォーカーがインドで残した大きな功績があります。
【数学界への貢献】
1913年2月25日、ウォーカーが気象観測機器の点検のためにマドラス(現在のタミール・ナードゥ州チェンナイ市)に行った時のことです。港湾局の担当者から、ある若く貧しい事務員が書いたノートを見せられます。そのノートには高度な数式がびっしり書かれていました。
「こ、こいつは只者ではない…」
自身が優れた数学者だったウォーカーはすぐにその才能を見抜き、翌日にはマドラス大学の学長に推薦状を書きます。「普遍的な妥当性を確立するために必要な正確さや完全性には欠けているものの、その独創性ケンブリッジ大学の数学フェロー(研究員)のそれに匹敵する。彼が生活についての心配を一切することなく少なくとも数年間は数学の研究に捧げられるようにすることを奨める」と。
この推薦状を受けてマドラス大学は、修士の学位がなくて受給資格のなかったその若者に特例で2年の研究奨学金を与えることを決め、若者は職業として数学に邁進できるようになりました。
翌年3月、ケンブリッジ大学ハーディ教授の招きに応じて渡英します。(若者はハーディ教授に1913年1月16日に最初の手紙を送っており、教授は2月8日付で返事を出し、その後やり取りが続いていました)
その後彼は、ハーディ教授らと共同で数々の論文を発表し、その名が世界に知れ渡るようになります。彼の名前はシュリニヴァーサ・ラマヌジャン。生涯を通じて天才的な直感と閃きで4千近い公式や数学的結果を残し、「インドの魔術師」とも呼ばれた数学界の巨星です。
ギルバート・ウォーカー。南方振動を発見した学者が、数学界の人材発掘にも大きな貢献をしていたんですね。
さて、地球・人間環境フォーラムなどの主催でインドネシアの森林保全に関するシンポジウムが開催されるのでご案内します。
名称: 〜森林減少ゼロに向けたサプライチェーンの未来〜
日・インドネシア森林保全シンポジウム2026
日時: 2026年7月22日(水)、23日(木)10:00〜17:00
会場: 東京ウィメンズプラザホール(渋谷区)/オンライン
主催: 地球・人間環境フォーラム、熱帯林行動ネットワーク(JATAN)、レインフォレスト・アクション・ネットワーク(RAN)、Auriga Nusantara
参加費: 無料
主な内容:下記HPより抜粋
インドネシアは世界第3位の熱帯林面積を有し、極めて高い生物多様性によって知られています。同国の森林保全は、世界の気候変動対策および生物多様性保全の観点からも非常に重要ですが、近年も急速な森林減少が続いています。
日本は長年、インドネシア産の森林関連コモディティ(木材、パーム油、紙パルプなど)の主要消費市場であり、近年は、再エネとして使われる木質ペレットの輸入も急増するなど、同国の森林に深く依存してきました。
本シンポジウムでは、現地で森林減少や保全に関する調査・政策提言を進めるNGOや研究者、サプライチェーンを通じた森林減少ゼロに取り組む日本の企業・投資家らが集い、マルチステークホルダーによる議論を行います。
【1日目】
○ 基調講演「インドネシアの森林は、なぜ減少を続けるのか?(仮)」
Saurlin P. Siagian(インドネシア国家人権委員会委員)
○ セッション1「紙・パルプ」
モデレーター:川上 豊幸(レインフォレスト・アクション・ネットーク)
コメント:Bambang Hero Saharjo (ボゴール農科大学)
スピーカー:
Aidil Fitri(HaKI:Hutan Kita Institute、私たちの森研究所)
原田 公(熱帯林行動ネットワーク )
Kokok Yulianto(WWFインドネシア)
太田 史生(味の素株式会社)
○ セッション2「パーム油」
モデレーター:内藤 大輔(京都大学農学研究科)
コメント:冨田 秀実(サステナビリティ経営研究所)
スピーカー:
松原稔(りそなアセットマネジメント)
中司喬之(熱帯林行動ネットワーク)
Adelina Chandra(Trase)
Ristika Putri(LTKL(Sustainable District Association))
佐藤 浩司(花王株式会社)
【2日目】
午前 10:00-12:30(予定)
○ セッション3「バイオマス」
モデレーター:泊 みゆき (バイオマス産業社会ネットワーク)
コメント:Terri Repi(ゴロンタロムハマディヤ大学)
スピーカー:
岡﨑達也(三井住友トラストグループ)
中村圭佑(経済産業省資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部 新エネルギー課)
Christopel Paino(JAPESDA:Natural Resources Management Advocacy Network)
Timer Manurung(Auriga Nusantara)
午後 14:00-17:00(予定)
○ セッション4:「保全」
モデレーター:井田 徹治(共同通信社)
コメント:Jatna Supriatna (インドネシア大学)
スピーカー:
Rudi Putra(FKL:Leuser Conservation Forum)
石崎雄一郎(ウータン・森と生活を考える会)
Paulinus Kristianto(CAN :Conservation Action Network,Borneo)
不二製油株式会社の保全プロジェクト関係者
○ 総括コメント:足立 直樹(株式会社レスポンスアビリティ)
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